第5回「翻訳家・多言語習得者/亀井雄三さん」 カテゴリ: インタビュー


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和製シュリーマンの異名を持つ人が日本にいる、そんな噂を聞きつけて実現したのが今回のインタビューです。

翻訳家、亀井雄三さん。
翻訳言語、つまり一般的に言うところのプロレベルの習得言語はなんと英語、ドイツ語,フランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語の6カ国語。
その他、日常会話レベルの習得を含めるとその数は数十(その定義も含めご本人は数えたことがないとの事)を優に超える。
まさに現代のシュリーマン。にわかには信じがたいその真相も含め、英語学習者にとって何か
貴重なお話は伺えないかとコンタクトを取り、幾度かの挫折をくぐりぬけ、なんとか実現に漕ぎ着けました。
多言語習得者の中の多言語習得者である亀井さんからしか聞けない話、沢山お聞きする事ができました。
ぜひじっくりご覧ください。

日本を代表して世界に関われないかと夢見た少年時代


セレン(以下セ):本日はよろしくお願いします。

亀井さん(以下亀):よろしくお願いします。

:先ず最初に伺いたいのが、どういった事をきっかけに語学、というものに目覚めたのか、という事です。

:時期としては中学の1年生だったように思います。
時代は日本が経済大国と言われ上り調子だった時代で、円高が進んだりというニュースを通して子供ながらに
日々変わっていく日本の姿というものを感じていました。
「世界の中の日本」になっていく過程をまじまじと見ていた、そんな時代だったんです。
そういう時代の空気の中で世界に飛び出してみたい、という漠然とした思いが芽生えていたんだと思います。
当時から日本人の中には欧米に追いつけ、という根強い劣等感気質のようなものがありました。
それに対する反発心が自分にあったのを覚えています。
日本は進んだ国だ、という思いもあり

 日本を代表して世界になにか関われないか、と思い始めていました。

:そういう背景、そういう思いがまずは亀井少年を「英語」というツールに目を向けさせたのでしょうか?

:やはり、英語の授業が中学1年から始まったというのもありますが、近所にあった英語塾の存在も
大きかったように思います。
そこの先生が英検の試験官などもされていた方で、英語力の優れた方でした。
よく会話の相手なんかをしてくれましたよ。

:そこの塾にはご自身の意図で通い出したのでしょうか?

:実家と目と鼻の先の距離だったというのもありますが、母親がその方と知り合いだったようで、
そういった経緯で通い始めました。

:では、その塾での体験が人生の中では初めてと言えるような「外国語の体験」だったのでしょうか?

:体験という意味ではそうですね。あとは中学の英語の先生の影響もかなり受けました。
同時期に2人、素晴らしい先生に出会えた、という感じですね。
 
:その中学校の先生と言うのは具体的にどう亀井さんを魅了したのでしょうか?

:まず発音がとても綺麗でした。あとはその当時の夏頃に公立の学校の先生がアメリカに研修に行く機会があって、
その研修で他の英語の先生は聞き取りができず苦労していたが、その先生が通訳をして助けたという
話を聞き、やっぱりこの人は違うんだなあと感じましたね。


:そういう素晴らしい先生たちとの出会いを通じ英語に興味を持ち始めたと。
そこから他の言語へもどんどん興味の触手が伸びていったのはどうしてだと分析されますか?

:当時の時代の話になりますが、中国の残留孤児の訪日調査が始まりました。
それがテレビで放送され、毎日毎日中国語で話される様子が放映されていました。
それを見て、これが中国語なのかと強いインパクトを受けたのを覚えています。
また、韓国の民主化が始まった頃で当時の大統領が訪日したんです。
その朝鮮語のスピーチを聞いて、なんだか面白い言語だなと感じたのを覚えています。


こんなに近い国なのに全く違う言葉を話すのか、ととても面白く感じました。
そういう意味では外国語に対して開かれた感性は持っていたように思います。

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