第4回「英語講師兼通訳者/鷹森桃太郎さん」 カテゴリ: インタビュー


 

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日本にいながら0歳から英語教育に携わる父親から英語オンリーで育てられた

日本人がいるのをご存知だろうか?

それが「元祖バイリンガル少年」と呼ばれた鷹森桃太郎さん。
生まれて始めて口にした言葉は「Fish」だったそうだ。
ビジネスコミュニケーションの研究でもその英語の能力をいかんなく発揮し、

全国のディベートの猛者が集まる紘道館において「怪物」と

称されるまでの実力を誇る鷹森さんに英語講師、そして通訳者になった今だから言える幼かった頃のこと、
そして英語への思い、付き合い方などを語っていただきました。

 

英語四天王から影響を受けた父と0歳からの英語をスタート

セレン(以下セ):本日はよろしくお願いします。

 

鷹森桃太郎(以下桃):こちらこそ、よろしくお願いします。

 

:まずはじめに、桃太郎さんの0歳の頃からの新聞記事を拝見しましたが
  やはり驚きを禁じ得ません。
  本当にお父様とは0歳から英語のみだったんでしょうか?

 

:はい、親戚が集まるような特殊な場合を除いて父親とは全て今でも英語です。
  もちろん親や、周りの人たちは日本語ですよ。ただ基本的に今でも父親とは英語でしか
  話した事はないです。

 

:今でもなんですね!かなり特異な、そして今でこそさかんなバイリンガル教育の本当の元祖である
  と、当時の新聞も報道していますね。

 

:ええ、僕は実験作第一号のようなものです。父親も試行錯誤だったと思います。
  自身の経験と様々な情報の中から取捨選択をしながらの教育だったように思います。
  当時は家の中のどこに行ってもラジカセから英語が流れていました。
  田舎(岡山:童話桃太郎の発祥と言われる地の一つ)でしたから家のスペースも広かったんですが
  英語から逃げ道がない状態でした。

 
  他にも、よく「奥様は魔女」や「セサミストリート」などのドラマをよく見ていました。
  わかる部分はあったのですが、当時はわからない部分のほうが多かったような記憶があります。

 

  僕が生まれて初めて口にした言葉は「fish」だったそうです。

      ただ、これは父親の記憶で、母親に言わせると「key」だったとのことなのですが…

 

:どちらにしても「ぶーぶー」とか「パパ」とかではなかったんですね。

  お父様も英語道場をされていたり英語教育に携わっておられた方でいらっしゃいます。

  お父様ご自身はどういった経歴があるのでしょうか?

 

:松本亨先生(戦後日本の英語教育の礎を築いたと言われる英語教育家)に影響を受け、
  先生のお弟子さんの研修旅行に同行しアメリカにも行ったようです。

  先生の授業を見学したくて頼み込み、直々に会う事が叶ったようです。

  全て英語で行われる授業にも感銘を受けたそうですが、先生は当時外国人が主人公の話ばかり

  書かれていたので父は日本人も主人公にしてくださいと頼んだそうです。

  数年後、なんと日本人が主人公のお話が本当に出版されたそうですよ。

 

  他にも僕が3歳の頃、ラジオ番組を通して英語の早期教育を受けている少年がいるということで
  國弘正雄先生にコメントを頂いた事もあります。
  「桃太郎ちゃんは会話中心に英語をしているようで、それは素晴らしい事だ」
  というコメントでした。

 

  また同時に今でこそ直接交流がある松本道弘先生とも交流があり、

  先生がやっていたNHKの番組にも影響を受けていたようです。

   直接出会ったのはずっと後のことだそうですが。

 

  あとは東後勝明先生からの影響もあったようですね。
  主にこの4名を通じて英語教育に父親は関わっていたという感じです。

 

:とんでもないクラスの名前がバンバン出てきますね(笑) 

 

:松本亨先生、國弘正雄先生、松本道弘先生この3名は日本の英語教育の3大マエストロ、3大巨匠と言われていることは
  有名ですね。

 

 ラジオの時代の松本亨、テレビの時代の國弘正雄、インターネットの時代の松本道弘

  と言われています。

  この3人に東後勝明先生を含めた「英語四天王」から直接の交流などを通して影響を受けていたそうです。

 

:お父様自身も熱心な英語学習者だったのですね。

 

:父親は20歳から英語の勉強を始めたそうです。決して早くはないですね。

  松本亨先生のラジオ番組が大好きで10年間欠かさず聞いたそうです。

  いつでも聞けるようにとラジオをカバンの中に入れ、毎日持ち歩いていたという事です。

  亡くなった祖母からそんな話を聞きました。

 

:英語を愛されている様子がとても伝わってきますね。

  0歳からの英語教育というのは國弘氏のコメントにあったようにオーラル中心のものだったのでしょうか?

 

:基本的にはそうですが、まずはアルファベットがしっかり書けるように

  うちの親父が作ってくれた特別なシートのようなもの
  を使って文字の練習、あとは単語を覚える、というような事もしていました。

 

  物語のようなものを読んだり聞いたりもしていました。
  田舎だったのでネイティブスピーカーは少なかったんですが、

  父親の知り合いの数名のネイティブの方と話す機会もありました。
  慕っていたおばさんがいて、英語を直してくれたり、教えてくれたりもしていました。

 

  ただ一度、全然知らないネイティブの方を父親が連れてきたことがありまして、

  その方と話した時に、上手く会話の流れが掴めずとても会話に苦労した記憶があります。

 

  その時に思ったのは今まで話していたネイティブの方は僕に随分合わせてくれていたんだなあ
  という事を子供心に思いショックを受けたのを覚えています。

 

  自分の中ではそれは大きな事件でした。

 

:冒頭でも話がありましたが、お父様とはほぼ全て英語でやりとりをしてきた、というお話です。
  当時、幼かった桃太郎さんにとって英語でのコミュニケーションというのはどういうものだったのでしょうか?

 

:大学の1年生のときに松本道弘先生に出会い、一度聞かれたことがあります。

  「心のひだを読み切れるか?」ということです。

  その時に思ったのは英語を通しての父親とのコミュニケーションはある程度のもの、だったのかなあということです。

  喧嘩や、叱責も含め父親とは英語でした。周りの友達とのお父さんとの関係性とは決定的に違うな、とは思っていました。
  僕にとっての父親は「ちょっとやっかいな先生」という位置づけでした。

  一度学会で出会った能の世界の方が話されていたんですが、

  父親から能を教わって来たので父親ではなく先生であるという位置づけだそうです。

  その感覚に近いのかなあと思います。

 

:なるほど、一子相伝の伝統文化の世界の中の師匠と弟子のようであり、また親子である、そういう関係なんですね。

 

:そういう感じですね。母親はバランスを取る為に日本語でしたが、
  そういう意味では父親は徹底していました。松本先生にも一度言われた事があるのですが、
  その家庭環境の中で何か取りこぼしたことはないか?と聞かれる事があります。
  ただ、僕が思うに取りこぼしのない父親などいないと思っています。

 
  みんなどこかで、なにかを選択し、何かを選べずに子育てをしているはずです。
  何も与えられない親もいるかもしれない。そんな中で、うちの父親はとてもわかりやすい
  かたちで英語、というものを与えてくれた。
  親が子に与えられるものというのは限られています。
  それがたまたまうちの場合は英語だったのだと思います。

 

:親がいない家庭もあります。子供が大きくなり自律したときに親に感謝できる
  というのは子育てという観点での一つの明確な成功ではないかと僕は思います。

 

:非常に大きなものをもらった、そういう思いがあります。

 

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