第6回・同時通訳者/松本道弘 カテゴリ: インタビュー


松本道弘

 

英語の達人と呼ばれる人は過去の膨大な英語関連の書籍をみると

数名存在していたことがわかる。

 

だが、「今も現役で活動している」という形容詞をつけるとそれはたった1人に絞られる。
松本道弘、その人である。

 

一定の年代より上の英語学習者からは神とまで崇められるその人も

若い層になると、残念ながらまだ知られていない現状がある。

 

 

多くの同時通訳者や英語の強豪たちが集う紘道館の館長として、

日本に広くディベートを普及させた火付け役として、

そしてまた、日本人として英語に人生を賭けて挑んだ同時通訳者、

人間教育者として、今なお現役で日本を飛び回る松本道弘先生に

今回は本当に貴重な機会を頂き、インタビューをさせていただくことになりました。

 

 

上野にある神聖な場所、紘道館にて

3時間という長時間をいただき

ロングインタビューを決行。

 

 

日本人として英語を学ぶということはどういうことなのか?

英語と向き合う一人の人間として、膝をつき、額を突き合わせ

お話を伺ってきました。

 

 

現在進行形の松本道弘の生の言葉、

若い方にも、ぜひ噛み締めて読んでいただけたら嬉しいです。

そして古くから松本道弘を知っている方にも今を生きる「松本道弘」を

ぜひ味わっていただけたら幸いです。

 

 

英語嫌いがたった一日で英語好きになったあの日。

 

 

:今日はよろしくお願いします。



:はいはい、よろしくどうぞ。



:今回のインタビューを読んで欲しいと思っているのは今英語を学ぶ人、

 そしてこれから英語を学ぶ人、

 これから世界に出て世界と競い戦っていく日本人のみなさんです。

 

 

 松本先生がこれまで人生を賭けて取り組まれてきたことを、

 みなさんにシェアさせていただきたく参りました。



では、早速お話を聞かせていただきたいと思います。
まずは、英語の原体験からお聞かせいただけますか?



:やはり高校の時の先生だったね。盛野先生という校長先生だった。
 
それまで英語はもともと落ちこぼれで下から2番目だった。
その先生とのたった一回の出会いが僕の人生を変えたんだね。

 

 発音がとても綺麗な先生でね。上手いか下手かも当時はよくわからないんだけど、

 臨時の授業でその先生が熱心に教えてくれたんだ。

 

  その熱意に圧倒され、英語嫌いがいっぺんに英語好きになってしまった。

 



「お母ちゃん、今日はものすごい発音のうまい先生がおったでー」

と、おふくろに帰宅後すぐに言ったのを覚えてる。

 


 
うちのおふくろも「みっちゃんがあんなに喜んでるのを見たのは初めてだ」と驚いてたよ。



 
:英語はもともと嫌いだったんですね?



:国語はずっと好きだったけど、英語は嫌いだったね。



13歳から日記は付けていたから、日本語でしっかり日記を書く、というのは今も
自分の原点になっていると思う。
日記は今でもつけてるからね。

 (60年経つ今も一日かかさず日記を書かれている。)

 

 書くと言うことは文法の意識を高めてくれる素晴らしいものなんだよ。



英語を話してるところを見てもその人が「書ける」か書けないかはすぐにわかる。
私生活が乱れるかどうかもわかる(笑)



:その先生と出会い、たった一日で大きく人生が変わってしまったんですね。



:今でも色々なところで講演や話をする機会があるけれど、

 あのときの体験が自分の中には今でもあって、

 聞いてくれた人の中に静かに炎を残せたかどうか、常に考える様にしている。

 


逆に言うと一日で相手の炎を冷ましてしまう事もあり得る。


 
自分は賞なんかには興味がないんだけど、一対一で相手とどう向き合うか、の勝負だよ。


 
英語でもそう、表面的な事ではなく常に話の中身に目を向けるようにしている。



 言葉の裏にあるものだね。

 

 

 流暢さとか発音の良さというものは本当の意味での「成功」には関係がない。



 
:たった一日で英語への考えが変わってしまったその後、どのように英語と向き合い、

 取り組まれたのでしょうか?

 

:誰にもつかず、ずっと独行道だったね。
宮本武蔵のようにね。

 aloneが基本だったね。

loneliness、は孤独、
aloneness、は孤高、つるまないという姿勢の問題。


 
 かっこよく英語をしゃべる、ということが目的ではないから。


 バイリンガリズムバイカルチャリズムを混同してはいけない。

 


:いつごろからその辺りにこだわるようになったんでしょうか?

 

 

:僕は大学の当時海外に一歩も行ったことがなかった。

 ずっと柔道しかやっていなかったんだね。


周りには海外経験豊富な連中や、英語が堪能な連中が沢山いたが、
一度も負ける気はしなかった。

 

 英語の勉強でも瞬間瞬間を命がけでやってきたから。



 勝負に勝つと人は赤く燃える、他方、

 

 人は勝負に負けるとくやしくて青く燃える。

 

 

 

 熱力学的には青く燃えるほうが温度は高いんだよ。

あらゆる悔しさをエネルギーに変え、自分はずっと青く燃えていたと思う。

 



 
:英語に対するモチベーションというのはどこから来ていたとご自身で分析されますか?

 

 

:将来に対する闘争本能というか、元々負けず嫌いなところがあるからね。

 

 けんかばっかりやっていて、男として勝つか負けるかが大事だと思っていたし、
今も思っている。

 男に好かれる男でありたいな、なんてね。

 

 そういえば就職して7,8年は英語ができる事を社内ではただひた隠していたもんだよ。
同僚に「松本さん、英語上手いんだって?」と聞かれても
「別の松本じゃないか?」と答えていた(笑)

 

 日商岩井を離れ一匹狼になって上京し、東京で中途採用の為の面接で英語は役に立ったね。

 経歴を書かされてずらーっと幹部が並ぶ面接でも気後れする事なく
自分の要求をし、それを最終的にはいい結果にもっていくことができた。

 

 金融関係の事なんか何も知らないけれど、

 まずは苦手なところで勝負してやろうと思っていた。


 
まあ、あらゆる場面で負けたくなかったんだね。

 


:英語に関することだけでなく、色んな面で負けず嫌いだったんですね。

 



:柔道三段の大学時代に近くの街の道場の師範から、

 軽量級でオリンピックを目指さないかと言われた


とき、自分の思いが冷めてしまった。

 スポーツと武道は違う。自分は武道家だと思っていたからね。

 

 そのとき、武道ではなく武道の心を英語に吹き込み、

 

 英語で日本一になってやろうと決めた。

 

  「英語道」はそのとき生まれた。



ある時、京都の禅寺の坊さんと話をしたことがある。
「突然、自分とはなにかね?」と聞かれた。
 
「切り落とした指、そこにポンと落ちている指は自分の指かどうか?」とも聞かれた。
 

禅の勉強なんかはしていたんだけれど、何も答えられない。
するとそのお坊さんが自分に反撃を始めた。
 
お茶の味がわかっていない、鳥のさえずりを聞いていない、と言われ
あなたは目つきがわるい、とまで言われた(笑)

帰りの電車の中で悔しくて泣き続けた。
絶望から始まる何かがあることをそのとき知った。

 

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